東京で暮らしていたときは、信州は美しい自然というイメージでした。 ただ、身の廻りには、自然より面白いものが山程ありましたから、 その信州の自然というのも、山好きの友人につれてゆかれた、 北八ケ岳のごく一部ぐらいしか知らなかったのですが、 山小屋のトイレを別にすれば、悪くないと思いました。
その後、親の失敗の後始末で、 その信州で暮らすことになって、 かなりの期間、ひたすら働いた後、 わずかな時間で運動できるという理由で、 近くの里山に登ったりしてみたのですが、 およそ人が行きそうにないところまで、 どこにでも塵があるのに驚きました。
山国は川も多いわけですが、 その川の中も塵だらけで、 時折、塩尻に比べれば「まだ」まともな本屋のある松本まで、 川沿いの道を車ででかけると、 直前に並んだ松本ナンバーの車のうち1台は、 車窓から、空缶、煙草、紙屑、場合によっては、 ビニル袋に入れた家庭塵を川の中にポイ捨てします。
そして、その川沿いの至るところに「川に物を捨てないで」ほしいという 看板がたっているのです。
しかも、その看板の下の河原では、 数人の人々がその塵を袋に詰めている姿も時折見掛けますから、 ひょっとしたら、 「あうん」の呼吸で彼らの仕事を作る約束になっているのかもしれませんし、 自分で自分の仕事を作っている可能性もあります。
塵のふるさとともなると、その捨てかたもユニークで、 つくづく関心したのは、私の勤務先の道路を挟んだ向かいの家の住人です。 家庭塵をその住宅の前の道沿いに置くのですが、 風の強い立地条件を巧みに活かし、 西風が1吹きすると、塵袋の中身がばらばらになって、 私の勤務先の敷地や近くの広範囲の畑にばらまかれるようにするのです。 「人為的な排出」ではありませんから、 自然がそうするわけで、 被害を受ける側の住居の選択が悪かったということでしょうか。
塵をばらまく場所も県堺を超えるようで、 「上越の海は信州の海」と主張する信州人が、 大挙して押しかけては、そこを塵の山にするという話しが、 2002-07-29 の信濃毎日新聞の「明日の天気」覧に出ていました。 上越の住人も、お客ということで、 我慢しているのかもしれません。 世界的に有名になった、「NOUKYOU」の行動パターンと同じですね。
近くの住人を観察すると、 自分の敷地の中はきれいにしますが、 そこにあった塵は道路に出したり、 私が住む社宅の敷地にほうりこんだりしますから、 自分の敷地の外は、美的センスに関する限り、 自らの視覚から消去されるようです。
塩尻の最近の流行は、線路の下などのトンネルの壁に沿って、 スーパーのレジ袋に入れた生塵を捨てることで、 処理する人は命がけになりそうです。
私には、これが遺伝的資質なのか、 教育県と自負する後天的な教育の成果なのかはわかりませんが、 短期的利益追求に最適化されていることは間違いなさそうです。
最近は「ポイ捨て禁止条例」ができたそうですが、 ポイ捨ては増えている印象で、 塵集めの動員を事業所にまで広げていますが、 元を絶つことを考えないと、どうにもならないように思えます。